1986 (昭和61) 平和相互銀行 最後の株主総会

1986年6月27日早朝、久保利は壁にかかる防弾チョッキに触れていた。軽い触り心地の普通のベストだが、腹と心臓に銃弾を跳ね返すセラミックが縫い込まれている。同級生でその後インターポール総裁となった兼元俊徳からは、「刃物なら十分に防げる」と言われていた。

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数時間後には、住友銀行との合併承認という重要な議決が行われているはずだ。日本中の総会屋が駆けつけるだろうと、外野がうるさく騒いでいる。二年前に行われたソニーの株主総会には多数の総会屋が終結し、13時間半にも渡る長い時間粘られていた。

今日の総会で、そんなことは許されない。こちらで行われる採決を、合併先、住友銀行の担当者たちが待っている。無事にこちらの採決を終わらせ、同時刻に行われている先方の会場にバトンを渡さなければならないのだ。その中に「お前の力を貸して欲しい」と懇願してきた東京大学同期の國重惇史がいる。

久保利が平和相互銀行本店前に着く頃には、警視庁機動隊の大型車両が並び、厳戒態勢の中、緊張感が漂っていた。背筋を伸ばし、議場に入る。

予定通り、1時間40分後、平和相互銀行の総会は終了し、合併採決のバトンは無事住友銀行に渡った。

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【平和相互銀行とは】
平和相互銀行は、1951年に創設された相互銀行。夜間までの窓口営業を行う、首都圏の駅前から住宅地までの店舗網を整備、都市銀行各社連携によりATMではどの銀行のキャッシュカードも利用できるようにする、など、顧客に対する利便性に努めた銀行であった。一時は店舗数103となり、相銀界6位の規模になる。しかしその後、経営陣の内紛、不正融資問題などが発覚し、住友銀行と合併することとなっていた。