2001 (平成13) 野村ホールディングス(野村證券)社外取締役就任

バブルが崩壊し、経済の失速に日本が揺れていた1997年(平成9年)、新聞を賑わせる大事件が発覚する。業界トップの野村證券が大物総会屋に行った数億円にものぼる利益供与事件だ。東京地検特捜部、証券取引等監視委員会の調査も入ったこの事件は、役員の引責辞任にとどまらず、逮捕者が出ることとなる。

野村證券はこの事件を受け、役員の刷新を行うこととした。体制を立て直すため組織を正常化しなければならない。その為の「内部管理委員会」を立ち上げることにし、メンバーの選出にかかる。そこに、総会屋一掃を掲げて闘い続け、当時講演会等で野村證券を厳しく糾弾していた久保利が選ばれたのだ。

久保利は就任後も変わらず「辛いだろうが、事件や不祥事を忘れてはいけない。語り継いで教訓としていかなければならない。コンプライアンスに終わりはない。」と話す。

バブル崩壊

 

事件から4年を経た2001年(平成13年)、大々的な組織変更が行われ、野村ホールディングスを新たに立ち上げ、野村證券と機能を分割させることになる。2001年4月末、氏家純一社長(当時)から久保利に電話が入った。社外取締役の打診である。「座っているだけで怖いぐらいの人物」「しがらみなく意見をはっきり言う人物」を探していた社長自らの指名だった。

それから20年近く経つ今では、弁護士や公認会計士、経営者等、社外の人間が取締役に就任することは当たり前となった。しかし当時は、弁護士会への申請、許諾が必要であり、取締役に社外の人間が就任することは、大変珍しいことだったのだ。外から企業改革を訴え続けてきた久保利が、内部から企業を変える立場になる瞬間だった。

弁護士になって二年目に担当したスモン訴訟で、大企業に抱いた不信感、「企業側の弁護士になるにしても、その企業が社会から評価されるように内部から変えて行くことを一生の仕事にしようと、強く決めた」あの時から、30年の月日が経っていた。