1971 (昭和46) 騒然とした司法研修所修了式(任官拒否事件)
司法研修所修了式の朝、胸がザワついた久保利は、買ったばかりのテープレコーダーをしのばせて式に臨んだ。
安田講堂事件が起き、佐藤内閣による東京大学の入学試験が中止になったのは前年のことであり、東大闘争が行われた(1968年~69年)直後でもある。
当時の司法修習生には、青年法律家協会加入者と反戦法律家連合のメンバーがおり、久保利は良いことをするのならと、両方に所属していた。
研修所の大講堂で修了式が始まると、出席者の一人である阪口徳雄青年法律家協会議長が「少し話をさせてください」と発言を求めた。裁判官を希望していた同期の裁判官志望者が、任官を拒否されたことについて、説明を求めたのだ。
ところが突如、修了式は打ち切られ、それに反発した一部修了生が壇上につめかけ大騒ぎとなる。
この問題は国会議員を巻き込んで大きな問題となり、阪口議長は、13分にもわたって議事を荒らしたとして、罷免されてしまう。
しかし、久保利の録音テープの中で阪口は、1分13秒しか発言していなかった。この証拠を元にして、他の修習生と共に阪口議長の処分撤回を求め、弁護士1年目からかけまわった。阪口議長は、2年後に弁護士登録を果たすこととなった。
久保利が正式に弁護士登録される直前に起こった正義である。