1957 (昭和32) 開成中学校入学
英明が中学進学を考える年頃になった、ある日、友人が「男子校の開成に行く。みんな丸坊主で元気の良い学校だ」と言ってきた。興味を持ち、母に伝えると、家族会議となる。父は将来英明に店を継がせたかったようだが、祖父と母は、この子は質屋の跡継ぎでは収まらないのではないかと話し、最終的に父も納得してくれて、開成を目指すことになる。
英明は、自分で言い出したことなので、朝5時から勉強した。そして合格する。開成中学から高校に進み、6年間丸坊主で過ごした。先生にも友人にも恵まれ、英明の言葉を借りるなら、心も身体も、全身がこの学校で作られたのだった。
授業でやったラグビーが面白くて、20名ぐらいの仲間と同好会を設立する。部活に昇格させ、グラウンド使用権を獲得するために、生徒会長に立候補した。ラグビー仲間の奮闘もあって、無事、当選する。ラグビー部のつながりは今も尚続き、大きな心の支えとなっている。
中学3年の社会科の担当は米山先生だった。時代は1960年安保の時代。授業は1年間すべて安保条約の議論が占めた。国会さながらに条文を少しずつ掲げ、その後に、その条文の意義・要件・効果等について解説を付していく。生徒と先生が審議を繰り返していくのだ。これが初めて法律に触れた機会だった。
一見明快に見える条文が、議論していくと不明確で相互に矛盾していて、憲法に抵触する可能性が高いことが明らかになっていく。法律とはこんなに複雑で多義的で面白いものなのかと、知的興味をかきたてられた。この頃から職業としての弁護士に興味を持ち始めたと思う。
開成中学、開成高校に行ったことは、英明の人生の彩りを、深く広くした。