1944 (昭和19) 誕生
第二次世界大戦中(ドイツ、日本、イタリアを中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、オランダ、フランス、アメリカ、中華民国等の連合国陣営との間で戦われた戦争)の、1944年8月29日、久保利家の長男として誕生。
戦争中にも関わらず、3500グラムの立派な赤ちゃんであった。
母・久保利きよは、大正14年生まれ。女学校を出た18才の時に、
陸軍の無線部隊にいた7才年上の父市衛門と見合い結婚し、19才で英明を産んだ。
質屋を営む両親は忙しくしていた為、祖父が教育係、祖母は躾係となる。
祖父の家訓は「笑う門には福来たる。今日一日を笑ってくらそ!」であった。
今も残る大谷石造りの、地下1階地上3階の倉庫の大扉を開くと、笑っているおかめさんの面と、祖父の標語が残っている。
祖母は慢心と傲慢が大嫌いで、そういう気配を英明に感じると、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とか「手習いは坂に車を押す如し、油断をすれば後に戻るぞ」と説教した。
その後、弟と妹が誕生し、7人家族となった。